エクスキューズ・ミー

「言い訳」をテーマに書いています。

「視力」への言い訳

 本当にそれが原因なのかは分からないけれど、「ドラえもん」を読んでいたから視力が衰えた、ということにしている。

 生まれて初めて読んだ漫画が「ドラえもん」だった。漫画の読み方なんて言うと大袈裟かもしれないけれど、読み方も楽しみ方も教えて貰ったような気がする。

 歯を磨いて布団に入る時にこっそり漫画を忍ばせて、小さな明かりの中で読んでいた。揃えた単行本は繰り返し読んでいたけれど、残念ながら内容のほとんどは覚えていない。ただ、楽しかったという気持ちは、漫画を読めるくらいの小さな明かりのように胸に灯っているように思う。そう、祈りたい。

 眼鏡を掛けているだけで「のび太」と呼ばれるような時代だった。悪意のないからかいで、僕はのび太が嫌いじゃなかったし、幸いにも僕の世界にジャイアンはいなかった。

 ジャイアンはいなかったけれど、ドラえもんもいないしタケコプターもない世界だ。届かない未来をすっかり追い越して、僕はこの世界を生きている。

 眼鏡を外すと世界中がぼやけて、自分の輪郭も心ごとあやふやになるような気がする。眼鏡はツールであり、世界に立ち向かうためのひとつの装備品だ。何も身につけずに溶けてしまった方がいいのだろうか……、そう思う夜もあるけれど、とりあえず僕の日常は明日も続くらしい。

 漫画を読んで視力が下がった。失ったものを嘆きながら、取り返しのつかない日々は続いていく。今日手に入れた新しい眼鏡は度が強くて、世界の輪郭の明るさにくらくらする。

 夜空にはオリオン座が輝いていて、冬が来ることを教えてくれる。自由に飛べはしないけれど、手を振ることはできるさ。眠れない夜にベランダから空を見上げたとき、駆けていく少年はきっと笑っている。