エクスキューズ・ミー

「言い訳」をテーマに書いています。

「数字」への言い訳

 零から九、と書くと分かりにくい。0~9、その組み合わせで世界は造られている、なんてことを言う人がいる。
 楽しくない意見だ、と思いながらも考えてしまう。日常でさえ数字ばかりだと気付いてしまう。

 数字が嫌いなわけではない。むしろ、分かりやすく表せるぶん気が楽になる、と思うことの方が多いかもしれない。しかし時には残酷に、己の徒労を思い知らされたりもする。数字自体に悪意などというものはないのに、人間の心はそれに何かしら感情のようなものを見つけてしまうことがある。

 数字を見ている時、私は私を見ているのかもしれない、と思った。たとえば時計を見る時に、針の示す数字を見るのと同時に、自分がそれを認識して何をするべきなのかを考えているのだ。成績表や給与明細、降水確率や果汁のパーセンテージもすべて、それを知って自分がどうするべきかという指針になっている気がする。数字を見ること自体はスタートで、テストの点数がどれだけ悪くても人生は続く。

 人間の能力もすべて数値化できればいいのに、などと思ったこともあるけれど、この世界はロールプレイングゲームではないからこそ楽しくて悲しい。不確定要素に満ちたバクだらけの世界の中では、目に見える数字をヒントに、目に見えないスキルを伸ばしていくことが必要なのだと思う。たとえば感性や感情といったものを、ゲームオーバーになる瞬間まで。
 感情も勘定も、生きるためには必要だというお話でした。