「嘘」への言い訳
誰かが今日も嘘を吐きます。私は今日も嘘を吐きます。
嘘吐きが泥棒のはじまりなら、世界は執行猶予中です。その間にも新しい噓吐きは産声を上げて、言葉を覚えて、誰かの肩を叩きます。
「フィクションです、創作です、作り話です、ネタです、例え話です。傷つけるつもりも、困らせるつもりもございません。許してください」
嘘が嘘だと暴かれたとき、あるひとは許しを請いました。
「騙されるあなたが悪いんです」
嘘が嘘だと暴かれたとき、あるひとは笑顔で言いました。
「本当なんです。本当なんです」
嘘が嘘だと暴かれたとき、あるひとは必死にごまかそうとしました。
彼らは、許されたり、罵られたり、笑われたりします。叱られたり、憐れまれたり、見放されたりします。それが嘘という罪への罰なのか、褒美なのか、彼らにさえ解りません。
また誰かが嘘を吐きます。
「猶予期間はとうに過ぎていて、世界は見えない檻の中なのさ」
誰かがそれに応えます。
「それなら僕はもっと嘘を重ねるよ。もっときみを困らせるよ」
「それは楽しそうだね。僕もそうするよ」
嘘が重なって、重なって、事実と混ざって歴史が産まれて。重ねて、重ねて、未来になっていきます。
噓吐きが世界を創ったのなら、世界の終わりは言葉を失うことです。言葉を失いますか? それとも騙し続けますか?
誰かが今日も嘘を吐きます。私は今日も嘘を吐きます。虚構のような未来を求めて、血のように真っ赤な嘘を吐きます。