「音楽」への言い訳
「嗜好品なんです」と彼は言った。最低限の衣食住に必要なもの以外は嗜好品だと、濁った瞳をにっこりと細めて。
嗜好品、あるいは贅沢品と呼ばれるものがある。煙草や酒類がメジャーなところではあるのだが、前述の彼に則れば音楽もその中に含まれるだろう。
さて、音楽の話。音楽の話がしたい。
好きなバンドが解散を発表、ショックを受けたファンが自らの生命を......。残念ながら架空の話ではない。
裏を返せば、音楽で救える生命もある、ということになるのかも知れない。NO MUSIC NO LIFE、YES MUSIC YES LIFE、といった感じか。
ただ、思うのは「音楽で他人を救いたい人間」というのは今の世の中にどれくらいいるのだろう、ということだ。いや、商業の話がしたいのでは無い。
音楽を生業にする人間というのは、自らの手で自らの生命を救っているのではないか。そう思うのだ。
かつては手の届かないステージでキラキラしていた幻想のようなアイドルでさえ、今の時代では「みんな大変だよね、私たちも大変だよー」という風に見えることがある。聴こえることがある。
己を鼓舞するついでに、と言うと酷いかもしれないけれど。それで救われる生命が何千、何万もあるのならば、それはとても価値のあることだと思う。
まぁ、普段からそんな面倒くさいこと考えてないですけどねー。来月はライブに行くから頑張ろー、くらいのもんです。
人を救う音楽は無いけれど、音楽に救われる人はいる。
矛盾しているようだけれど、矛盾していないものの方が少ない世の中ですし。ねぇ?
「音楽は嗜好品です。毒にも薬にもなるし、何にもならないこともあります」
濁った瞳のまま、彼は話し続ける。
「っていう歌詞のサビがサイコーなんですけど、今度一緒にライブ行きませんか?」
濁った瞳をビー玉のように輝かせて、彼は私に話し続ける。